新しいことに挑む ことへのブレーキ
生きていると様々なことに興味をもったり、何か新しいことに挑戦することがありますよね
教育に関わっていると、児童生徒の“挑戦”をよく目の当たりにします
その時に最後までやり抜いて達成する子もいれば、途中で挫折する子もいます
大人でもそうですよね 特に年齢を重ねるほど新しいことに手を出すのが億劫になります
または
- 今更おそい
- 失敗したらどうしよう
- 時間がない / お金がない
- 恥ずかしい
などなど、言い訳して始めないなんてことありますよね 私もあります
こういった『ブレーキ』はなぜ起動してしまうのでしょうか?
またブレーキを外す方法はあるのでしょうか?
ブレーキをかけるわけ
例えば、車で遊園地に行くとします
カーナビに目的地を入れて車に乗り込んだものの、その車には強力なサイドブレーキがかかっていてなかなかスピードが出ません 今にも止まりそう
そうこうしているうちに遊園地の閉園時間を迎えてしまい、たどり着けませんでしたとさ
こんな感じで、私もいくつもの目標に挑戦しようとして失敗してきました
同じように私が見てきた児童生徒にもブレーキをかけてしまう子が沢山いました
なんとなく分類してみるとこんな4タイプ
- 本当はやりたくない(みんなが言っているから合わせている)
- 失敗を過度に恐れている
- 他人からの評価を気にしている
- 現状維持したいという気持ちが強い
こんなところでしょうか
もちろんどれか一つであるわけではなく、複合されている場合もあります
1つずつ見ていきましょう
① 本当はやりたくない
こういう場合、達成したい目標とその方法が一致していないわけですね
ちょっと違うかもしれませんが、スラムダンクで桜木花道は最初バスケが嫌いだったはずです
その桜木花道がバスケを始めたきっかけは「晴子さんとお近づきになりたいから」 でしたよね?
(まぁそのあと本当にバスケ選手として花開くからこれは成功した例としましょう)
このように異性が絡んでくる(要は『モテたい』)場合に当てはまるのではないでしょうか?
(モテたいからという理由で買われたギターは何本あるでしょうか…)
数学でおなじみ「必要条件」「十分条件」みたいな話をしますが
A「バスケが上手な人は、晴子さんと仲良くなれる」:これはあっているとしましょう! ですが
B「晴子さんと仲良くなれる人は、バスケが上手」:これはいかがでしょうか?
Bの方がちょっと納得しにくいですよね
自分が達成したい目標に対して、他人軸で方法を決めてしまうと長続きしにくいですね
このパターンは本当にその方法が正しいのかを一歩立ち止まって考えましょう
『自分は何のために挑戦するのか?』『ほかに方法はないのか?』『本当にこれは自分の意志か?』
② 失敗を過度に恐れている
小学校の卒業式で校長先生が「失敗を恐れず挑戦しよう」と書かれた色紙を卒業生に配りました
大人になってとても重要なことであることを身に染みているところです ありがとう先生
確かに失敗っていやですよね
『かっこ悪い』『恥ずかしい』『失望される』『笑われる』『馬鹿にされる』 etc.
こんな思いがブワッと駆け巡ります
確かに『誰でも』『どこでも』『どんな時も』『できる』『チョロいこと』略して “D4C”
これに失敗したら確かにかっこ悪いし恥ずかしいかもしれませんね
(書いてて思いましたが、元ネタの方でもあながち間違ってはないですね)
ですが、“新しいこと”に挑戦することはこれに該当するのでしょうか?
誰だって初心者から時間と労力をかけてできるようになったはずです
イチローさんだってヒットが打てない試合もあったわけです
氷川きよしさんも歌詞が飛んだりします
梅原大吾さんもストリートファイターで何回も負けているんです
見えないところでたくさんの失敗があるはずなんです
ただ、みんな成功した人の成功している部分しか見ていないんです
生命の危機や倫理的な問題を含んだり、地球存亡の危機とかそういう次元での失敗はよくないですが、
一般人がそんな事態に直面することはないでしょう
失敗は成功のもと と言います どんどん失敗しましょう
ちなみに私はこっちが好きです
私は失敗したことがない。
ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。
トーマス エジソン
失敗を失敗ととらえないこのポジティブな姿勢…さすが 訴訟 発明王です
③ 他人からの評価を気にしている
他人の目が気になる そんなことありますよね
失敗を恐れる理由にもありますが、結局は「人からの評価を下げたくない」と思っているんです
失敗しているところを見られたくない、馬鹿にされたくない そう思ってませんか
そう思う人は自己認識があるかないか知りませんがいわゆる『完璧主義』的な思考の方が多いです
正確には『他人から“あなたは完璧”という評価をしてほしい』といったところでしょうか
特に大人になった時に周りの評価は気にしますよね
上司からの評価 同僚からの評価 友人からの評価 家族からの評価・・・
ここにSNSを加えて、フォロワーからの評価など、もう評価項目がありすぎます
さて、ここでお伝えしたいことは(少々辛辣ですが)
自分以上に“あなた”に興味がある人間はいません(他人は“あなた”のことを考えてはいません)
それこそ、自分の失敗談や恥ずかしい経験は結構覚えているものですよね?
- 学校で先生のことを「ママ(パパ)」と呼んでしまった
- 買い物行ってレジまで行ってからお金が足りないことに気が付いた
- 向こうから手を振ってくる人がいたので振り返したけど、自分の後ろの人に向けたものだった
- スカートがめくれている(ズボンのチャックが空いている)ことに気づかず家から駅まで来た
結構ベタな話ですが、どれも1回くらい経験ありますよね?(私はあるので、皆さんもあると言って!)
さて、ここで問題なのは「他人のこうったエピソード」を何個話せますか?
誰しも失敗したり、恥ずかしい経験をしているにもかかわらず、自分以外の人間の話はできないんです
それくらいに、自分の失敗と言うのは他人は覚えていません
確かに、その時は馬鹿にされたり冷やかされたり、あるいは慰められたりするでしょう
でもそれはその時だけで、3日もすれば話題にすらならないのではないでしょうか?
多少長くても 人の噂も七十五日 つまり長くても3か月弱です
3か月もあれば逆に「始めたばっかりの頃は〇〇って失敗してさぁ~」と自らネタにしているのではないですか?みごとにすべらない話をゲットですよ
相当陰湿な人でない限り、他人はあなたの失敗には興味がありません
だからこそ、どんどん挑戦してすべらない話を獲得しながら、自分をレベルアップしちゃいましょう
④ 現状維持したい気持ちが強い
皆さんは「恒常性」という言葉をご存じですか?
生物に備わっているしくみのことで「生物は体内の状態を常に一定に保とうとするはたらきがある」
というものです
これ、持論ですが人のメンタル面でも恒常性があると考えています
つまり『人は毎日同じような状態になるように行動する』 平たく言うと “習慣” に近いですかね
日常のいたるところに習慣はあります
朝起きてする行動一つとってもそうです
スマホを見る カーテンをあける 部屋の電気を明るくする コーヒーを淹れる また布団に潜る
考えなくても毎日やっていることありますよね
逆にこういった習慣ってしないとムズムズしてキモチワルイですよね
このムズムズする感じが “精神の恒常性” なんじゃないかと思うわけです
何か新しいことに挑戦しようとすることは、自分にとっての変化です
この変化に対して “精神の恒常性” が機能してしまうと、「いつも通りにしなさい」となってしまい、
結果として挑戦しなくなってしまうのではないかなって思うんです
こうなってしまうと厄介ですよね 敵は己の中にいるわけですから
私も“精神の恒常性” が働くついやってしまう辞めたい習慣がコンビニで買い食いしちゃうことです
仕事終わりに駅から家までの間にあるコンビニでついなんか買ってしまうんですよね
お金もかかるし、太るしで辞めたいと思っていて、辞めたいんですよ
駅では今日こそまっすぐ帰ると決心しつつも気づいたらレジで会計している自分…
ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
「おれは コンビニの前を通過したと思ったら いつのまにかレジ前にいた」
な… 何を言っているのか わからねーと思うが おれも 何をされたのか わからなかった…
日々こんな心境です
さて、どうしたものかと考えいろいろ調べていくうちに一つの結論に達しました
習慣はその習慣を行う“きっかけ”が存在する
私の場合、コンビニの前を通る と言うのがこれに該当するのではと思い、帰宅路を変えてみました
そしたら見事まっすぐおうちにかえれたじゃあありませんか!
なので、習慣が発動するにはそのきっかけを断てばよいし、新しい習慣を身に付けたければきっかけを作ればいい
なので、新しいことに挑戦するときには、その行動をするきっかけを準備することと、その習慣で古い習慣を上書きすること これが一つの解決方法ではないでしょうか
最後に
新しいことに挑戦することはよいことです
それを継続したくても誰しもがブレーキをかけてしまいがちです
そのブレーキは自分で解除する以外に外す方法はありません 外し方も自分しか知りません
ブレーキさえなければ、スムーズに目的地にたどり着いて、また新しいところへ行きたくなります
最後まで読んでくださった方が、人生と言う旅において1つでも多くの目的地にたどり着きますように
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